芋羊羹

芋羊羹の字面が好きです。なんとなくです。

唐突ですが

 

どうして妙にリアリティのある夢を見たときの目覚めはあんなに途方も無い疲労感に襲われるのでしょうか。こんなしょうもない疑問を抱いてるのはわたしだけでしょうか。わたしだけでしょうね。はい。

個人的にはアホみたいに寝倒すとその時間に比例して無駄にドラマチックな夢を見る傾向がある気がします。脳味噌が睡眠に飽きてきているに1票。まあそもそも夢を見ている時点でレム睡眠である可能性が非常に高くそうなると身体は眠っていても脳は眠っていないことになるのですが。どちらにせよ良質な睡眠ではないということです。深夜バイトは人間の本能に逆らう蛮行だという話でしたっけ。違いますね。

 

というわけで夢の話をしようと思います。先に言っておくとフロイト心理学について触れるのは今回はやめておきます。あの人に任せるとどんな夢でも十中八九欲求不満の四文字で片付けられてしまうので(暴言)。もっとフラットに題材を捉えていきましょう。まだ2回目ですし。

 

さて、どうやら夢には種類として補償夢と逆補償夢というものがあるようです。付け焼き刃の知識なのでざっくりとご説明致しますと、

 

補償夢:満たされない思い、欲求を夢の中で叶えることで一応の精神的満足感を得るもの

逆補償夢:不安に思っていること、実現しないでほしいことを夢の中で体験することで実際にそれが起きた時の衝撃を和らげるためのもの

 

といった感じでしょうか。どちらとも精神的安定の為の夢であるという点は共通していますね。要するに補償夢は好きな人と仲良くなる夢見た!ハッピー!的な、逆補償夢は遅刻する夢見た!危ねえ夢で良かった!的なノリのものと把握してしまって問題ないと思います。これを知ってわたしが真っ先に思ったことは、脳味噌過保護すぎないか?ということです。補償夢はまだわかるが逆補償夢、貴様はなんだ。おかんか。眼前に落ちている小石を拾いすぎてしまうことが結果的に当人の為にならないことは何世紀も前から分かりきっていることでしょうにどうして進化を怠ったのか。お陰でこちらは定期的に冷やっとしたなんとも言えない目覚めをする羽目になっていて大変遺憾です。大いなる流れを前に人類は無力である。

 

なんの話でしたっけ。夢の話です。夢占い、夢分析などといったものは古今東西一定の人気と需要があるものと認識していますが、何故そこまで自らの脳が生み出した虚像に固執する必要があるのでしょうか。勿論そういった方々を馬鹿にする、蔑ろにする意図は毛頭ありませんが夢というものは元来脳がその日の記憶の整理をする時に発生するランダムに切り貼りされた映像であり、乱暴な言い方をしてしまえば部屋の片付けをしてるときに出てきたアルバムや色紙などを並べて眺めているようなものです。そこに脳が下手に介入して中途半端に辻褄を合わせようとするからややこしくなるし人々が意味合いを見出そうとし始める。夢に意味なんてないと思います。身も蓋もないですがそれがわたしの主張です。でも夢を見ることは好きです。楽しいからです。人生そんなもんです。

 

夢日記をつけるという行為も大変興味があります。やったことはないですが、それによって夢の内容自体にも変化が齎されたという例も耳にします。深層心理を見つめる行為だからあまり続けると身を滅ぼすという警鐘もよく聞きますよね。いつかやってみたいとは思っているのですがそもそも朝起きて悠長に日記などつけている暇がないというのが現状です。朝早く目覚めるコツを習得しないと夢日記には辿り着けない仕様です。先は厳しい。

 

長くなってきたので一旦この辺で区切ります。気が向いたら後編をやるかもしれません。気が向いたら。

ところで今日はバイトでお客さんにチップとして野口さん3人頂いたりお給料が予想より多かったりでるんるんして朝ごはんをサンマルクカフェにしました。美味しかったです。幸せでした。

おわり。