ハンディキャップか重めな持病
もうちょっとまろやかな文章が書けるようになりたい。だってその方が可愛らしい。
朝が辛い。昼も辛い。夕方から少しずつ自己が帰ってくる。だから授業に行けない。夜は眠くならない。代わりに心とお腹がよくわからない悲鳴をあげる。よくわからないから治し方がわからない。とりあえず死のうとしてみる。上手くいかないからベランダに出て煙草を吸う。ルーティン。最近お腹も空いてるのかよくわからないから周りの人たちのタイミングに合わせて食べる。
自己が帰ってくるってなんだろう。じゃああの辛い時間自己はどこに行っているんだ。クソみたいな現実を生きるためにその時間があるのなら無理に帰ってこなくていいんじゃないか。世界に責められるのが耐えられないからギリギリで人間らしくしようとする。弱虫。よわみそ。
だからまろやかな文章が書けないのだと思う。弱い自分を誤魔化すために小難しい単語と言い回しでゴテゴテにコーティングしてる。文章が私を表している。いっそ太宰みたいに自分の弱いところ醜いところみっともないところそして他人のそれらも全て曝け出した方がいいのかもしれない。あの人の2〜3行に一度句点を打つか打たないかという書き方は一生かけても真似できないと思うけれど。心中してもいいと思えるような人と出会えるというのはきっと幸せなのだろう。
自分が一冊の本であれば良いと何度思ったか知れないけれど、そうなったらきっとたった数ページのペラペラでお粗末な本に仕上がる。だってこの人生で成し得たことなどひとつもない。
客観的に自己を捉えることは得意だけど、かと言ってそこで得た修正点をインプットする器用さは持ち合わせていないから、今日もわたしに成長は見られない。ドンマイ世間。
「○○けど」、で始まる文章が多すぎるな。悪癖は修正したい。
大学を卒業した後の人生が見えなすぎる。卒業できるのかは置いておいて。こんなに生きる予定じゃなかったからかな。中学生から何も変わっていない。せめて精神を安定させたい。インスタの加工を統一することに命を燃やすような生き方ができたらきっとそこそこに楽しかったと思う。いい加減孤独感と闘うことに見切りをつけたい。どう足掻いても独りだろう。
大人ってどこから。
人と関わることのない職につきたかった。でもそういうものは才能が必要で、そして残念ながらそんな持ち合わせはない。殺しながら生きるかジリジリと死ぬか。いきなり銃で撃たれて死んだことも分からずに死にたい。覚悟とかいらない。
今回は心持ちひらがな多めで書いてみた。吐瀉物みたい。わたしがやって許されることではないと学んだ。